私の茶道遍歴。

 

私の茶道遍歴。私が大学の茶道部に入り、
茶を習ったのは20歳。しかし、まもなく退部した。

茶の湯が確立したのは15世紀の村田珠光(じゅこう)が
能と和歌を学び、大徳寺の一休禅師に参禅し、開花した。

その弟子、武野紹鷗(たけの じょうおう)は藤原定家の歌
で、わび茶を確立。

「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋(とまや)の
秋の夕暮れ」新古今和歌集

そして、茶の道を完成させた千利休

その弟子に当たるのが古田織部だが、
茶室に刀を持ち込むことを禁じた
利休に対し、関白は織部に刀を差して
茶室で飲む茶に変えた!

即ち、反骨の茶は三代、利休で完成し、終わったのである。

私は利休に続く、本物の茶人を20歳から探した。
20年掛かり出会えたのが天山先生であった。そして、
出会いから20年。天山先生は私の構想の茶を許した。

反骨の権化、下克上を許す武士道、鬼気迫る日本に再来す!

*反逆の刀を持たぬ武人 千利休 辞世の句

人生七十 力囲希咄 (じんせいしちじゅう りきいきとつ)

吾這寶剣 祖佛共殺 (わがこのほうけん そぶつともにころす)

堤る我得具足の一太刀 (ひっさぐる わがえぐそくのひとたち)

今此時ぞ天に抛(いまこのときぞ てんになげうつ)

*腹を切れぬ現代茶坊主が、訳せる訳も無し

*日本に残れし 最後の武道 千の茶道

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facebook 11月1日の記事より。