特攻観音に行って、気づいたこと。

 

知覧の特攻観音に行って、気づいたこと。
昭和天皇さま、三つの疑義。

一つ目は、陸軍が用意していた敗戦手順の前に(旧憲法の最大の問題点、閣僚と天皇を繋げる最後に残った元老の西園寺が戦争の前年、死去していた為、情報皆無の状態で)天皇の独断であのタイミングに、終戦を宣言されたこと。

二つ目は、終戦詔勅が「義命の存する所」を「時運の赴く所」に文部大臣の進言で変えてしまい大東亜戦争の本義を失わしめた所。

三つ目は、臣民に対し「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」と説かれた後、その願解が終戦から70年を経ても成されず、徒らに朝鮮シナの悪口に耐え忍び、誇りを失っているという事実。‬

*写真は、ドクター中松の遺作に近い作品。
一緒の写真は、彼の数年前のパーティーで、
たまたま、弱気でいらっしゃった中松氏を
励ましている所

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facebook 10月26日の記事より。