敗戦後と茶道の変遷

敗戦後と茶道の変遷

マッカーサー天皇の写真で、金玉を抜かれた日本男子に、
追い打ちをかけるように、占領軍は、新聞ラジオで日本政府
は信じるな、日本軍は悪いと洗脳を続け、学生はそれを信じ
今の大人になっているが、軍も政府も今よりマシだよ。

時の政府は、寡婦の為にお花やお茶で食べて行ける道を作った。

それは、戦死した夫の妻がお茶やお花を習っていたなら、
ある程度裕福な女子に教えて食べて行けるように習うこと
を奨励したのである。

そこから一気に女子の茶道人口は増え、女点前全盛の今日の
茶道の現状ができたのである。

室町に生まれた茶の湯は、本来は、合戦の前に飲む命を
賭けた、清々しい覚悟の場であった😎

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)

画像に含まれている可能性があるもの:3人、立ってる(複数の人)、屋外

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facebook 10月30日の記事より。